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和木峠 by 大原の人

大原峠 by 和木の人

和多志の祖母 きぬ さんはこの「和木峠」を超えて大原の家にお嫁入りした。

花嫁衣裳を着て、この峠道を歩いた。どんな思いだったのだろう。

親が決めた結婚。会ったことも見たこともない男の人の元に嫁がなければいけない心境はいかばかりであったのか? 実家を出る朝、おきぬさんは、3時に起き、甥っ子姪っ子たちのオムツを洗濯して、家事仕事を綺麗に片付けてから、自分の身支度を整え出発したと話に聞いた。

おばあちゃんは、物静かで慈悲深い笑みでいつも和多志を包んでくれる人だった。大好きなおばあちゃんが何かある度に、実家と嫁ぎ先を行き来したこの峠道を孫である和多志が歩く。ある時は、楽しい道だったかもしれないし、ある時は、悲しみに蹲ってしまう日もあった訳で、そんなおばあちゃんの物語は、別のページで書き下ろしてみたいと思います。和多志の事業所名[Kinu & Kukai]の「きぬ」は、おばあちゃんの名前を頂きました。ありがとう!おばあちゃん。今もこれからも大好き。命を繋いでくれてありがとう!

さてさて、ここ大原には、7つの峠道がある。こんな小さな里に7つも。私は、辛うじて「和木峠」の存在は知っていた。しかし、峠の名前は愚か、存在さえも知らない人が今は大部分。​その「和木峠」、正式名称だと思っていたが、和木側の人達は「大原峠」と呼んでいた。え?!和木の人達が立ててくれた道しるべには「大原峠」と書かれている。同じ峠なのに峠のあちら側とこちら側で呼び方が違っていた。そしてそれぞれ呼びやすい分かりやすい名称で好き勝手に呼んでいた。昔の人はとってもファジーなのだ。分かればよいのであるから、正式名称なるものは何の意味もない。こう呼ぶべきと四角四面にねじ込む考えはなかった。だから峠の呼び方で喧嘩するなんてこともなかった。「昔の人はいい加減やなぁ~」と思いますか?そう、「良い加減」を知っていたのです。

管理しやすいように名称も全て統一、画一化が合理的で効率的でそれが正しい!とする思考が、「良い加減」の〝大らかさ〟を日本人から奪って行ったような氣がする。言葉も名前も統合、統一化され、それによって思考も一面しか見えない狭い世界に閉じ込められた。誰も狭い世界だとは氣付かない。義務教育で、新聞やテレビで、画一的な思考パターンが作られたのだ。多面的に俯瞰して見極める目が昔の日本人にはあった。それは日本語という母音 母なる音の音靈、言靈の力だったと思う。道の名称だけでも国道9号線、府道59号線、数字で統一され、味気ない正式名称に統一され変えられてしまった。そして益の無い小道や峠道は、名前も存在も抹殺された。二極化の極まりし令和3年秋、弱肉強食、優生思想、唯物論者が九分九厘勝ったに見える今、和多志は、敢えて、益なし忘れられた方に光を中てたい。そこには、まだ温かい火が小さく燃えている。その火は燈明となり、見極める目を無くした日本人に少しでも希望の光となり、険しい人生の峠を自分の力で越える道しるべになることを願って。

実際、大原側の峠道は、人工林で暗く、急斜面に倒木、道は途中から無くなり、方位磁石と地図で方向を見定めて進むという感じだった。ここ何年も、誰も関心を持たない場所は、森全体に明るいパワーが無い。迷いながら辿り着いた峠頂上には、和木の人たちによって立てられた「大原峠」「和木へ」の道しるべがあった。峠を境に空氣が変わった。和木への下り坂は、楽しく明るい氣が満ち満ちていた。歌を口ずさみながら歩くそんな美しい道だった。和木の人達はこの峠を忘れるどころか、光を中て、大切に思ってくれていることが、氣で感じられる。岩、木、草、道、全てが明るいのだ。熊に出くわしても、その熊さんはプーさんのように笑っている!と確信するくらい(笑)。そんな峠道を下りきったところに鳥居があった。そして鶏が〟コケコッコー”と何度も鳴いて歓迎してくれた。なんだか神さまになった気分(笑)。鳥居をくぐって降り立った里のなんと美しい事か!伯父さんが始めた梅の里、和木が感じられる。そしてしばらく進むと見覚えある景色。。。。幼いころ、おばあちゃんに連れてきてもらったおばあちゃんの生まれた家だ!きぬおばあちゃんの実家だぁ~。

導かれている!和多志の生きる道は、この方向でいいよ!と応援されている!と感じる。

「おばあちゃん、和多志の生きる道は、この方向でいいよね?」

「洋ちゃんが好きなようにしたらええで~」って優しい笑顔で寄り添ってくれている。

感謝だよ~。

ありがとう!ありがとう!ありがとう×100万回。

今生、和多志が大原に光を中てる為にここに戻ってきたような氣がする。

大原に生まれ育ち、狭い田舎の世界が嫌で、もっと広い世界みたくて海外添乗員になった。世界中を見た。そして結婚し、どこから見てもちゃんとした常識人の大人であろうと我慢し頑張る生き方を始めた。四角四面の中で生きることが正しいと思い込み、自ら入って、四角四面の外ではみ出していい加減に生きてる人を見て、羨んだり、怒ったり、蔑んだり。。。(笑)

田舎を飛び出した時点から、私は、一面しか見てなかった。もっともっと頑張って、みんなが羨むキャリアを積み、憧れる生活と幸せを勝ち取ろうという我欲で突っ走っていた。

何のこと無い。和木と大原で生き抜いたきぬおばあちゃんは、世界中を見た和多志より、心広く心豊かに美しくこの里で暮らした。あんなに安心感のある優しいおばあちゃんは世界中で〝きぬおばあちゃんが一等賞”だ。そして世界中の美しい場所を見てきた私が世界で一番美しい里は?と聞かれたら、大原と和木 と答える。

今までの経験は、この為にあったのか?繋がった!峠道のマップを作りたい!と思ったのは、和多志の背後にいるご先祖様たちの志が和多志の思考と行動を操作したのね。合点だよ。もう抗わずに、心の思うままに生きるよ。そしてこの美しい丹波の里をもっと元氣にするよ。

令和3年11月19日 不思議なほぼほぼ皆既月食なお月様の日に記す​